チョトコイと小綬鶏の呼ぶだから行く


風音と空の色変え五月果つ

父に無き日々を過ごしてまた夏へ

夜明けより峡へ落ち込む梅雨の雲

鉄塔の天突けば街五月雨るる

道暑し蚯蚓ひたすら死へ這へり




飯田龍太先生の言葉に「自然を見つめているといつしか自然に見つめられている自分に気づく」というのがあります。

私たちが見つめる自然とは周辺の山川草木ばかりではありません。私たちの周りにあって私たちに生きる力を与えるもの全てが自然です。人や社会も見つめるべき自然であると言えましょう。自然に対する関心が力強い句を育みます。私にとってふるさと美濃のすべてが俳句の源となります。

加えて、自然との巡り合わせに謝意を籠めることができたら作品も素晴らしくなります。
「どの子にも涼しく風の吹く日かな 龍太」は故郷に対する思いから生れた一句であると思っています。だから誰にでも好かれるのです。 (青)


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