春夕焼赤子乳房のほか知らず


春の峰美濃を美州と云ひしこと

陽炎の坩堝へ走者また走者

龍天に登りて妻の機嫌よし

蒲公英や子は陽に遊び風に舞ひ

畦厚く塗り父祖の田の水封ず

 



幼少の記憶は個人差があります。ものの本に拠れば、胸にひたひたと迫る産湯の波の記憶のある人もいるとか。産湯までは遡りませんが、筆者の最も古い記憶は父に背負われ、防空壕に入っていたときのものです。父の脚下に泥状の水があったことを覚えています。2歳余の筆者にとっては極めて強烈な印象を与えた場面でした。それが昭和20年6月朝の各務原市空襲であったか、7月夜の岐阜市空襲であったかは分かりません。
その次の記憶は、男の人たちがスコップを使ってその防空壕を埋め立てている場面。立って見ている筆者の傍らに、花の名は分かりませんが白い花が咲いていました。その白さが印象的でした。


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