小綬鶏のこゑの呼び出す朝の池
歳月の目盛消え去るフクシマ忌
少年の視線の先の春日傘
黄蝶来て白き蝶来て昼の土手
手庇の白山はやも青霞
春の渚音に遅れて波寄せぬ
昭和50、60年代の『雲母』では岐阜県在住の諸俳人の活躍が目立っていました。長谷川双魚、久々子夫妻、井上たま子、金子青銅、青木文恵、西川文子などの諸氏、他に筆者や他の俳人の作品が比較的好調でしばしば成績上位となりました。お互いに刺激しあうことがより良い作品を生んでいたと思います。筆者はこうした人たちをこころひそかに「岐阜軍団」と名付けていました。
たまたま山廬を訪れた際、飯田龍太先生が筆者に次のように言われました。「『雲母』を岐阜へ持って行ったらどうだね?我々山梨は『裏雲母』でいいよ」と言ってニヤリ。『裏雲母』の表現が面白く、龍太先生のユーモラスな面を示した一語だったと思います。
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