鬱々と寺へ二月の闇降りぬ
凍光や野をたつ鳥のひそやかに
立春の風駈け下る瓢岳
寒明けや山を畏れて山恋うて
抱く児の眼に如月の街しづか
池の辺に鳥見ぬ日なり風邪心地
筆者の住む町は濃尾平野の北端、ここより北は山ばかりという地です。俳句に手を染めて以来、山を多く詠んできました。
「山幾重にも闇となる寒さかな」
「美濃山塊遅日の丈を同じうす」
「凍て空や尾根道槍のごとくあり」
「夏空へ山湾曲す直立す」
など。
あるとき「山々にまた春が来て蝌蚪生れて」の作品を『雲母』に出句したら掲載されました。
暫くして遠き句友から葉書を頂きました。「この句を見ると飯田龍太作品『なにはともあれ山に雨山は春』を思い出す」とありました。句作者としては面映ゆい感じでした。実は龍太作品を読んで生まれたのがこの蝌蚪の句だったのです。こうした句の関係は何と言ったら良いのでしょうか。
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