爆発の如き落花の下に立つ 

花水木白もて空に融けさうな 

春愁や手中に廻す胡桃二個 

葉桜の触れて川幅定まれり 

峰々の白雲吐けば五月来る 

薫風や峡なほ深く人家あり 




『雲母昭和年代句集』(昭和48年刊)に出句し、中丸義一と共に飯田龍太の眼を引いた俳人に石川雷児がいた。夭折の俳人である。

冬の馬美貌くまなく眠りおり

喜寿米寿冬こそ彼等美しき

源流の村木枯もうすみどり

朧夜や紺を長子の色となし

死火山のつめたき自愛炎天に

死者あらばあるで灯ともす秋の暮

などで『雲母』の作品欄を飾った。

不思議な句がある。

八月は見ずに九月の螢かな

である。この句を龍太は絶賛した。現代俳句の五指をあげるとすればこれを入れてもよいとも言った。幻視か想念か、はたまた観念か。未だにこの句の世界に入ることができないでいる。兎も角不思議な一句である。


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