涼風を馳走としたる峡去りぬ
連発の花火の下の恋いくつ
夏空や一川をもて郷頒つ
秋めくと日は大仰に地に沈み
蜩に紛る瀬音かその逆か
しづかなる風が野を這ふ夏の暮
旧盆も過ぎ我家の墓石のある市の共同墓地にも秋風の吹く頃となりました。毎月父母の墓の前に立ち合掌します。
しかし「千の風になって」の詩が示すように、そこに父母がいるとは思えません。亡くなれば浄土へ行くと言われていますが恐らくそのような場所は無いでしょう。
人に限らず地上での存在が終れば無となり、故人への思いが残るだけです。大切なのは生き遺る者の責務として故人への思いを消さぬことです。
宗教上の式典は故人への思いを継承させるために編み出された知恵でしょうが、それに頼らぬ思いが必要だと思います。その思いを意思として保持することが人間としての存在意義だと思っています。
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