百千鳥山駆け下る高圧線
母やさしその母やさし蓮華草
老いたれば自慢と愚痴と心太
全身を見せ蛇泳ぐ吉か凶か
保育器にいのちひとつを容れて初夏
隅を妻植ゑて全き植田かな
戦争を望む人は誰ひとりとしていません。しかし望まずとも巻き込まれることはあります。
秋桜子編『聖戦俳句集』(求龍堂昭和18年刊)が出た年は筆者の生誕年でした。そこには
椰子高くわが弾炸くる夏の雲
雪原に捧ぐる銃の夜も光る
撃ち出す初弾飛魚數知れず
などリアルな前戦があります。
樽見博著『戦争俳句と俳人たち』(トランスビュー社平成26年刊)では誓子、草城、草田男、楸邨を始め、虚子、蛇笏、風生、素逝等の先人が先の戦争をどのように受け止めたのか、綿密な考査が述べられています。
戦争は四時の移ろいとは別のものです。しかし俳句や俳人に与える影響は大きなものです。
憲法第九条の解釈変更は俳句にも大きく伸し掛かってくる問題であると言えます。
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