冷たさの底に鯰も鮒も寝て
夜気連れて寒気降りくる天狗岩
水仙や町は眠りの縁にあり
いはばしる水の音より寒明くる
風花や空の剥落続きをり
磊落の漢の来れば春めきぬ
「一流の俳人というが一流の俳人とは一世紀に一人か二人現れるもの、芭蕉や蕪村のような人を指す。私はそうした人たちを理解できる本物の二流になりたい。」
飯田龍太の言葉です。『本物の二流』―素敵な響きを持つ言葉ではありませんか。
一流とか二流とか、これは直ぐに判断できるものではありません。必ず時の篩を必要とします。時を経ても鮮やかに甦る世界を描いた人、そしてそれを定かに感受した人。それが本物の俳人だと申せましょう。
言うは易しと言いますが飯田龍太は自ら述べた道を自ら歩んだ俳人です。私はその飯田龍太を理解することができる本物の三流でありたいと願っています。
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