炎天や獄舎へ鉄扉又鉄扉 


墓へ手を八月母の生まれ月 

夏山を追ひ夏山に追はれ飛騨 

朝顔や砥石の上を刃の走り 

指圧院夏の乳房を圧し臥す 

また生を受くならこの地さるすべり




「自然を眺めているといつしか自分も自然に見つめられているのに気づく」という飯田龍太先生の言葉があります。

股関節の痛みのために一ヶ月ほど休んでいたウォーキングを再開した折、青田の向こうの緑の山々がじっと私を見ているのに気づきました。「もう歩けるのかい?」と声をかけてくれ、まるで私が歩き出すのを待っていた感じがしました。

「自然は、無駄事は何一つしない」と言った人がいます。自然には不必要や空虚な部分がないということは、こちらの思いを感受する能力を有していると考えたくなります。

自然と接するには敬いと慈しみの心が必要です。自然も自ずと心を開いてくれるのでしょう。


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