空高く地に深く佛御座す秋

漁り過ぐ鵜舟は闇の山背負ひ

父母のこと丸葉縷紅の咲き出せば

静謐の山河残して帰燕かな

夏果てぬ恋知りそめし少年に

美濃の地を割る川三つ秋はじめ




シャーロックホームズのファンをシャーロッキアンと言う。同様に司馬遼太郎のファンをリョウタリアンと呼びたい。筆者は熱烈なリョウタリアンであると自覚しているが、以前にも書いたように司馬遼太郎の次の言葉に特に惹かれる。

「思想というものは本来大虚構であることをわれわれは知るべきである。思想は思想自体として存在し、思想自体として高度の論理的結晶化を遂げるところに思想の栄光があり、現実とはなんのかかわりもなく、現実とかかわりのないところに繰り返していう思想の栄光がある」

この言葉に出会ったとき、頭の中が実に爽やかになった。

司馬遼太郎は平成8年に亡くなったが、もし更に存命であったなら次に書いた物語の主人公は元禄期の大阪の町人学者富永仲基であったのではないかと勝手に想像している。(青)


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