百歳へ生きんと決めし文化の日
月の道記憶の底のをみなたち
柿喰ひつ三途の川を渡りたし
山茶花散る空より時を剥がすごと
動脈にステント二本小春風
寒気地に湧くか空より降り来るか
父は昭和62年1月2日、72歳で亡くなりました。日支事変に際しては2年半北支を転戦し帰還しました。母との結婚後、無一文から刃物製造の工場を立ち上げ、3人の子供を育てあげました。父は戦後の生真面目な日本人の1人としてその生涯を生きました。
晩年生活に少し余裕が生じると消防団や防犯協会の役員を務めました。その功績に対し昭和49年10月15日関市長より表彰状が贈られました。
今年の10月15日、文化面の活動に対し筆者が関市教育委員会の表彰状を頂きました。
その2枚の賞状を我が家の座敷の鴨居に並べて掲げました。父の死後半世紀余を経てようやく父に追い付いた思いがします。
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